2010年11月8日月曜日

公演大大大成功☆

Betty Bears' Cabaret vol.5 テルプシコール公演、無事終了しました。
来てくださった皆様、ほんとにありがとうございました!
出演者、スタッフも過密スケジュールをきっちりこなしてくれてお疲れさまでした。

写真をまだアップできないのが残念なのだけど、
こちらはcabaretにふさわしいおしゃれな差し入れ♥
ありがとう☆


本番の映像がDVDであがってきたら、みんなで集まって乾杯しよう☆
ロゼのシャンパンと、アブサン。

海外にBetty Bears' Cabaretをもって行こうってお話が二人の方から出てきた。
海外の小劇場やキャバレテントで公演をやる日もそんなに遠くないかも(。・ω・。)。
イベンターを紹介してくださるという方もいて、年末はいそがしくなりそう☆


1度目と2度目のBetty Bears' Cbaretで抜群のセンスでメイクをやってくれたIsaku君も、次にやるときはメイクと衣装のコーディネートをやりたいと言ってくれた。昨日の公演を見ながらもうイメージが湧いてきたんだって。


一昔前に舞踏とキャバレの公演をやっていたグループの主宰だった方がいつも見に来てくれるのだけど、その方に「あなたの欲望は何なんだ。これからどうしたいのか。なんでこんな舞台を創ったのか。」と質問攻めにされた。
「何かやろうと今回のメンバーと話をしててわたしは中々行動に移せなかったけど、言ったことを果たせずに月日が過ぎて行くのがいやだったから。創り込んだら時間がかかるから、即興だけの公演をやろうと言ってたけど色んなシーンのアイディアが湧いてきたから今回の作品みたいのになったのよ。」と答えた。
義理堅いんだねと言われた。そうかも。
あなたは何がやりたいのかって、女優になってリッチになりたいと答え、あったかい家庭が作りたいと言ったら怒られた。
“家庭”という答えについては、「あなたはもっとクールな人かと思ってた。一般人のような普通の生き方をしちゃいけない。」家庭とか、子供が欲しいとか、私には似合わないって。

今回の公演も何か野望があってのことだ、と思われたみたい。
わたしは今自分がやってることを経済につなげたいと思っているし、そのためには抽象表現ではなくてエンターテイメント性が必要だと思ってそれを意識して創った。
だけど、抽象表現がまったくないものって知性のかけらもないと思うし、そんなもの創りたくもないので結局は抽象的なシーンも必ず入ることになるし、偶然に何かが舞台の上で起こり得るような空白を必ず残しておく。

その方が言うには、「リッチになりたいなら名誉を得ること。日本はそういう国だから。」って。名誉には興味ないんだけどな。
ただ経済的な自由があって、神様の次元で遊んでいたいだけ。名誉とは全く関係のない世界。
この世界はパラレルワールドで合わせる焦点によって体験する世界が違うのだけど、経済のことに頭がいっているとその次元の世界、手っ取り早く言ってしまうとTVの世界に自分の世界が汚染されていく。
コマーシャルに洗脳されて資本主義の奴隷になってる状態。
だけど、その世界を否定して次の世界には行けない。


こないだ、紀里谷和明監督のワークショップで言われてたのが、食っていけないかもしれないっていう恐怖は本当は、好きなものが買えないっていう恐怖なだけだって。この国で飢え死にするのは不可能に近いって。だから自分が本当に望んでいることをやれ、っていう話だったんだけどね。ってことは経済のこと、家計のことを考えるだけ時間の無駄ってことよね。
だって心配してもそれは好きなものが買えないかもしれないっていう恐怖なだけだから。
その考えってとっても貴重なのかも。
だって自分がもってる恐怖を客観的に突き放して観ることだから。
なんちゃあないことにどれだけ自分の思考エネルギーを費やしてるか、自分で意識できる。

「金持ちの男と結婚すればいんだよ。」って必ずこの問題が話に挙がるとそういう答えは思いつくものだと思うけど、それも違うと思うしそういう生き方には全く興味がない。
最近になってそれが一般的な、普通の女性の生き方のひとつだということを知って驚いた。
高校卒業したら必ず大学に行っていい会社に入るんだっていう考えくらい一般的なことなのかもしれない。
保険?
私の周りにはそういう女友達がいないからな。


先日、見える人に言われたことが、開口一番に、「あなたは周りの人には華やかな生き方をしているように映っているけど、心の奥では家庭的なことをすごく求めている。」と言われて涙が出てきた。華やかに映ってるかどうかは別にして、心の奥で家庭的なものを求める気持ちが強いのはホント。

今回は、制作、構成、演出、出演とよくがんばった、わたし。
出演者のみんなもよくついてきてくれたと思う。
わたしは、イスラエルのシアタークリッパに参加したときの経験でこのくらいは大丈夫、やれると思ってやるんだけど、それって普通に考えたらかなり厳しいのかもしれないと思う。
今回、衣装早変えで大変だったし、即興のシーンも入ってるから精神的にはかなりのプレッシャーだったと思う。

でもクリッパの作品では早変えの上に、体の色変えもあって(最初シルバーを全身、顔に塗ってて次の担当シーンではそれを
全部落として顔に別のメイクして着替える。)
舞台に出るのも、陸から水上の舞台までレーンにぶら下がって行ったり、別のシーンでは気温7〜8度の寒い時に水の中を舞台まで50m泳いでいく。そしてanimalの振り付けやって、即興で暴れ回って水中に飛び込んでそれから岸まで泳いで帰る。
その帰りがほんとにしんどくて死にものぐるいで岸までたどり着かなきゃいけない。
よくやったと思う。
だけどその話がきたのは、わたしが、「日本にずっといたら生温い生活になれっこになってしまう。生きるか死ぬかのところにいつもいたいのに。」って思ってた時。
生と死が同時にあるところ。
インドでバラモンの少年と一緒にいた時はそれをいつも感じてた。日本にいるとなんでその気持ちが弱くなるんだろ。
だから舞台をやるのかもしれない。

プレイベントの様子とお料理→さっちんのブログ

3 件のコメント:

  1. お疲れさまでした。また誘ってください!

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  2. 大成功でよかったね!
    海外公演。。ステキ☆

    自分の魂が喜ぶ道をいっちゃってください♪

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  3. somaさん、さっちん、ありがとうございました☆
    また一緒にやろう。
    世界中、いろんな場所でパーティーしよう!
    北アフリカのサバンナのキャラバンテント、とか、インドのラジャスタンの宮殿のお庭とか。スペインの島のビーチとか。

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