2010年4月6日火曜日

Dr.パルナサスの鏡

最近、パラレルワールドの概念が常識になりつつあるんじゃないかな、と思う。
今回、『Dr.パルナサスの鏡』を観てもそう思った。
でもだってそれってファンタジーじゃんって思うかもだけど、何年か前に公開された『ライラの冒険』も舞台設定がパラレルワールドで、『ライラの冒険の科学』という本では、アメリカの科学者が『ライラの冒険』(原作)がどれだけ量子物理学に忠実に描かれているかを丁寧に説明してる。

意識の焦点をどこに合わせるかで、体験する現実は様々。
『マトリックス』もそういう映画じゃなかったっけ?
その意識をどれだけ無意識に乗っ取られずにコントロールするかっていうのがなかなか難しいことで、それができる人はマスターと呼ばれる。
そのマスターに当たる人が、Dr.パルナサスだと思うんだけど、Dr.パルナサスはちょうどインドのサドゥーの風貌をしてる。

2001年に、わたし、世界最大(オーバーな表現でなく)のお祭り、インドのクンバメーラに行ってきた。たくさんたくさんサドゥーがいた。
聖なる鳥ガルーダがラーマのもとに聖水を運ぶ途中に休憩した町の、3つの川、ガンジス川、ヤムナー川、サラスバティー川の合流点、サンガンで沐浴するためにインド中、世界中から人が集まる。
アフリカのマサイ族のマスターも来てた!赤と黒のチェックの装束を着てた。同じ部屋(おっきなキャラバンテント)で色んな国の人とお祭りを一緒に過ごした。(そんな場所のコミュニケーション円滑のモノはお酒じゃない。もっとディープにコンタクトできるモノ。)

特に2001年1月24日は、地球と水星と後忘れちゃったけど、もう二つの太陽系の星が一列に並んだ日らしくて(インド政府の公式サイトに書いてあった。)、地球のバイブレーションが高くなるその日にガンジス川含む三つ(数秘術の意味も関連づけてある。)の川が交わる場所を流れる水を浴びることが、ものすごい浄化になるらしく、たくさんの人が集まる。たぶん“たくさん”っていう形容詞じゃ言い表せてないと思うんだけど、とにかくたくさんの人。

ガンジス川は、ヴァラナシやリシケシュや他の聖地で毎晩マントラ唱えられてて言霊エネルギーも入ってる。インド人は「ガンガージー カラント アーチェ(ガンジス川は電気もってるべ)」って言ってる。容器に川の水を入れてうちに持って帰って、おうちで汲んだバケツの水にガンジス川の水を一滴入れるとそのバケツの水はガンジス川の水になるんだって。

インドのお祭りは、そうやって数秘術や占星術によって日取りが決められるんだけど、それって天上の世界を地上に現す舞台を造ってるんだと思う。
人が意識の焦点を平行現実の、ある別の現実にシフトできるように。
そのお祭りに参加する人たちはみんな神話の登場人物になるの。日常とは違う現実が地上に現される。心のずーっとずーっと奥の奥の奥にある世界。

フランスに“ZINGARO"っていう騎馬サーカスみたいなtheater(エルメスがスポンサーで日本でも二作品の公演をしてる。)があって、その主宰のバルタバスは数秘術的な意味を持たせて、タイトルのアルファベットが7文字になる作品をいくつか創っているし、3を意味する『Tryptique』って作品も創ってる。天上の世界を舞台に顕現しようとしてるのかな。実際、その騎馬スペクタルは幻想的でミラクル!

インドのヒンドゥー教のクリシュナ派の中では、人生ってリーラ(遊び、ゲーム)って考えがあるんだけど、Dr.パルナサスでも、この世は神様と悪魔が掛けをしてるゲームだって言ってるようなところが面白かった。

パラレルワールド、どの次元に意識を合わせられるかはカルマの影響なんかもあって、いつどんなときもハッピーな世界にチューニング合わせられないよ。
(その辺りの意識の探求を科学者の立場で研究してたのが、ジョン•C•リリー博士。『意識の中心』面白い!)
最近は今住んでる新宿の魔のパワーに呑まれそうになってるわたし•••って気づいた。(でも大好きな街。)
ファンタジーではなく、意識のマトリックスの合わせ方が上手になって色んな世界に行き来できるようになるのはけっこう現実的なことなのかも。