2015年6月18日木曜日

OSHOとの出会い

カミングアウト的なお話 ....  。

OSHOとは何者か... っていう話は、別の機会にして(だって書こうとするととても長くなるし、わたしには説明できない。)、わたしがOSHOを知るきっかけになったことについて、紹介させていただこうと思います。

初めてOSHOを知ったのは、福岡で大学に通っていた頃(高校は私立の女子校だったのですが、ほとんどの同級生は大学に進学するところ、私はクラブカルチャーに興味はあったけど進学には全く興味がなく、高校卒業して4年後に急に勉強したくなって大学に行った。せっかく入った大学は半年で行かなくなって1年で辞めてしまったのだけど。)で、同じクラスの年下の同級生と学校帰りにたまに寄っていたアフリカの雑貨屋さん、そこではとてもお洒落で素敵なお姉さんが働いていらっしゃった。

そのお姉さんは勝子さんという名前で、『スー族の祈り』というインディアンの詩を、和紙にとても美しい字で書いて周りの人達にプレゼントしてた。

勝子さんがお店のレジに読みかけの本を置いていて、その本がとても気になったので「それ何ですか?」って尋ねたら、それがOSHOの『存在の詩』だった。

私と友達の分を注文してくれて、『a cup of tea』という本とその2冊はそのお姉さん経由で私のもとに届きました。

勝子さんは、ガイヤシンフォニーやDi Aromaというメキシコのシャーマンが作るアロマオイルや、波動測定器の店や、七田チャイルドアカデミーやらいろんな良いものをたくさん教えてくれた。(小林正観さんのお話会にも何度か連れて行ってくれた。)

勝子さんは、インドのOSHOのコミューンでもミュージシャンとしてとても人気のあったDevakantというイタリア人の、福岡での音楽会をお世話されてて(というかお付き合いされてて)、私もその音楽会に連れて行ってくれ、Devakantを紹介してくださった。

Devakantはクラシック音楽の素養があって、その時は尺八や横笛など日本の楽器とシンセサイザーを演奏してた。ミュージシャンとしてNHKスペシャルで二回にわたって特集もされてて、それは松尾芭蕉の奥の細道を、その途中で出会う日本のミュージシャンとセッションしながら旅をするという番組。

今度はそのDevakantが、OSHOの本や、そのNHKの番組の録画ビデオや、自分のCDをイタリアから送ってくれて .... 。イタリアのお城みたいな自宅の写真や、彼は彫刻家でもあって、自身で創った美しい彫刻の写真も見せてくれた。

Devakantが送ってくれた本は『禅宣言(マニュフェスト)』。

それが一人目のサニヤシン(OSHOの弟子)との出会い。
福岡では三人のサニヤシンに出会いました。

それからインドにひょんなきっかけで行くことになって、全く予定してなかったのだけどOSHOのコミューン(まだその頃はアシュラムの雰囲気がまだ残ってました。Buddhaホールもあったし。)にも行くことになって。

一度に書けないので

つづく ..... 。

Devacantの創る音楽は本当にすばらしくって大好きなんだけど、今そのCDは手元にない。
探してみよっと。

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