2015年6月21日日曜日

『ギータ・ゴヴィンダ』の言葉

6/26〜6/28のインド舞踊のワークショップの中で、振付の題材になる『ギータ・ゴビンダ』という聖典から、詩篇に使われている言葉の注釈をちょっとだけ集めてみました。
(ワークショップ詳細は コチラ

詩篇そのものも、後日アップしてみようとお思います♪


(15)  「恋の情趣」:sringara(-rasa). 「美的陶酔」とも訳される「rasa」は、インドの古典演劇、詩作品、音楽などにおけるもっとも重要な美的概念で、主として、恋愛、勇猛、嫌悪、憤怒、滑稽、恐怖、悲、驚嘆の八つに分類され、後に「静寂」が付加された。


(22) 魔王ヒラニヤカシブは、「人間にも獣にも殺されず、夜にも昼にも殺されない」という恩寵を梵天から得ていた。そこでヴィシュヌ神は、半分獅子で半分人間の姿をとり、日没時にヒラニヤカシブを殺した、という神話にもとづく。ここではヴィシュヌ神の手を蓮にたとえ、ヒラニヤカシブの体を爪で引き裂いたその手を、黒蜂の群がる蓮にたとえている。


(56)  「愛神」(manasi-ja)は、弓と花の矢を携えて、人に愛欲の心を起こさせる愛神カーマのこと。カーマは、あるとき、苦行に専念するシヴァ神の瞑想を妨害し、その心をパールヴァティに向けさせようと矢を放つが、怒って目を覚ましたシヴァの額にある三番目の目から出た炎で焼かれてしまう。したがってアナンガ(ananga)「肉体を持たない者」とも呼ばれる。カーマの矢の弦は、連なった蜂たちでできていて、ここで描かれている春の野の描写にしばしば現れる蜂の唸りは、愛神が愛の矢をつがえて、人の心を愛に誘っていることも暗示している。
キンシュカ(kimsuka)は、香りのない真紅の花をつける花の名で、それが群生している様子が、ちょうど血に染まった爪のように見えるということ。


(131) 「警戒」(vrata)は、ある目的を成就するために、禁欲して苦行すること。ここでは褥を作るラーダを、クリシュナを再び得るために誓いを立てて苦行する行者に例えている。


(133)「ラーフ」(vidhun-tuda)は、「月を悩ませる者」という悪魔の名。神々が乳海を攪拌して不死の甘露をとりだそうとした時、ラーフは変装して神々に混じり、甘露が得られると真っ先に口にする。それを見ていた太陽と月がヴィシュヌ神に告げたため、ヴィシュヌ神によって首をはねられる。しかし、不死の甘露を飲んだ首だけは生き残り、密告した太陽と月をかじって復習し、日食と月食をおこすといわれている。


(152) ラーダの名を呼び続けることによって、「ラーダの乳房を再び抱きしめる」ことを、聖地で呪文を呟き続ける修行によって至福(「甘露」)に到達するというイメージにかけている。



『ヒンドゥー教の聖典二編 ギータ・ゴヴィンダ、デーヴィ・マーハトミャ』
の巻末の訳注より


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