2015年6月25日木曜日

暗黒の女神 カーリーの踊り

インドの神話って面白いなぁ 。


さて・・・アスラという暴力的で好戦的な炎の神がいました。
彼は非常に長く苦しい修行を続け、いよいよ満願の日を迎えました。
するとそこへブラフマーが現れたのです。


ブラフマーはアスラに言いました
「願いをひとつかなえてやろう」するとアスラは
「不老不死にしてくれ」と言います。
「それは無理だ。違う願いにしろ」ブラフマーは彼の強引な言葉にたじろぎます。


「それなら、オレは女に命を奪われて死にたい」とアスラは言います。
彼は長い修行の果てに想像を絶する力を手にしていましたから、
間違っても女に殺されることはない、と自信を持っていました。


「解った。お前の命は女によって奪われるものとしよう」
ブラフマーはそういい残して消えました。
アスラはこれで不老不死を得たと同じだ、と考え狂気乱舞します。
そして野望である天界の征服をあっさりと果たしてしまいます。
シバをはじめとする天界の神々はアスラの軍の前で、
瀕死の状態にまで追い込まれてしまいます。


キズだらけの夫を見かねたパールバティはドゥルガーになって参戦します。
たちまち多くの敵をなぎ倒しますが、ドゥルガーをもってしても
アスラには歯が立たなかったのです。
しかしドゥルガーはあきらめません

地上におりたち、その両足を2つの山に乗せ、。
そして少しずつ自分のサリーをまくり上げ、ついには輝く秘部をアスラに見せます。
アスラは戦う姿勢をやめ、その姿に目を奪われてしまいます。
次の瞬間、アスラは命をドゥルガーに奪われてしまいました。

こうして平穏は取り戻されたのですが、本当の恐怖はここから始まります。
いくらアスラを倒すためとは言え、自分の秘部をさらしたことに
大変な恥じらいと後悔でドゥルガーの人格は追い詰められていきます。
長く苦しんだ果てに、ドゥルガーの中から黒い姿をした殺戮と恐怖の神「カーリー」が
生み出されるのです。

強く無邪気なカーリーは、ただ純粋に殺戮を繰り返します。
右手には血が滴る剣、第2の右手には三叉戟を持ち、
左手には切り落とした生首や、生首から流れ落ちる血を受け止
める骸骨などを持っている。首には、生首を繋いだネックレス。
裸体を覆う腰巻きは、切り取った手足です (゜ロ゜;)

ドゥルガーから生み出されたカーリーは、手当たり次第に殺戮を繰り返しました。
ところが、こともあろうにこんなカーリーに歯向かう悪魔がいたのです。
彼の名は「ラクタビージャ」
彼には勝算があったのです。彼の血が地上に落ちると、その数だけ
ラクタビージャのクローンができるという特技を持っていました。



そうとは知らずにカーリーはラクタビージャを切り続けます。
次第に彼女の周りは無数のラクタビージャで埋め尽くされてしまいました。
そのことに気づいたカーリーは戦法を変えます。
ラクタビージャを片っ端に丸呑みしはじめたのです。
こうして最後の一体まできれいに飲み込み、ラクタビージャは絶命しました。





血に酔いしれたカーリーは勝利のダンスを踊り始めます。
そのダンスの激しさで、世界は大きく揺れ動き、壊れ始めます。
多くの神々がそれを止めようとしますが、カーリーの力の強さと、
その残虐性に手も足も出せません。しかたなく夫のシバに泣きつくのです。
「なんとかしてくれへんか・・T,T」
「わかった」ということで、シバはカーリーの足元に寝そべり、彼女のダンスの振動を
すべて吸収しました。
そのあとカーリーはシバを踏みつけたことに気づき
「ゴメンゴメン。うっかりふんじゃった」ということで舌をペロリと出すのです。
なんとなくカワイイような・・・






http://www12.ocn.ne.jp/~painters/okusan.html より転載)
出典元はなんだろうと思って、図書館で探しましたが、こんなに面白いお話をみつけることができず、そのまま個人様サイトから転送させていただきました。

クンダリーニ・メディテーション

クンダリーニ瞑想って ......
OSHOのガイドは下記に転載させていただいてますが、

わたしはクンダリーニ・メディテーション、OSHOの瞑想の中でも好きな瞑想で、
まずクンダリーニを、身体をシェイクすることで刺激して活性化させて(って言ってもはっきりクンダリーニがなんなのか、わたし自身わかってるわけじゃ、ありませんが .... )そのエネルギーにまかせて好きに踊って、昇天する。

クンダリーニは蛇に例えられたりするのですが、蛇の動きみたいに楽に腰がクネクネなるので踊っててすごく気持ちがいいです。
普通に踊ってたらそこまでの状態になるのにけっこうな時間かかるし、心理的な障害物もあったりしますよね。それを、身体に効果的に働きかけることで、現代人のために比較的容易に踊りに入れるようにメソッドが構築されてる。そこがOSHOの瞑想の科学的なところで。

ところで、クンダリーニとは(⇨ https://ja.wikipedia.org/wiki/クンダリニー

踊りでイッたことない人には、ぜひおすすめな瞑想です (^^)

溜まってたエネルギーを踊りで発散(昇華と言ってしまっていいのかどうかわかりませんが .... )した後は、座っての瞑想 。エネルギーを解放した後に座るので、瞑想に入りやすいです。

例えばダンサーって、筋肉をトレーニングして、身体を改造人間のようにつくっていきます。本格的なダンサーってシリアスに訓練するので、こころもカラダも緊張しがち。特に、骨盤底筋を鍛えるので腰回りが固くなっちゃいます。
クンダリーニ・メディテーションってそんな訓練された身体の緊張を解きほぐすのにも、最適な方法だと、わたしは思います ♪
めったなことじゃクンダリーニが覚醒するなんてことはないので、気軽に参加してみてください。


勝手なこと言ってますが、以下クンダリーニ・メディテーションについての、OSHOのガイダンスです。

クンダリーニ・メディテーションはイベントの2日目です。⇨ http://bettybearscabaret.blogspot.jp/2015/06/blog-post_2.html

OSHO KUNDALINI MEDITATION


 Oshoダイナミック・メディテーションの「姉妹の瞑想」として知られる、この1時間の瞑想は、日没時、あるいは午後の遅い時間に行なうのがベストです。身体のどこかでエネルギーの流れが抑圧されたり止められていても、最初のふたつのステージでシェイクとダンスに完全に没頭することで、岩のような実存を「溶かす」のを助けます。するとエネルギーは、流れて踊ることができるようになり、至福と喜びに変容されます。後半のふたつのステージでは、このすべてのエネルギーが垂直に流れ、沈黙に向かって上昇して行けるようにします。それは、一日の終わりに緊張をほどいて手放しになるための、非常に効果的な方法です。

OSHO によるシェイクの説明
 「振動が起こるまま、まかせなさい。それをやってはいけない。静かに立ち、振動がやって来るのを感じなさい。そして体が少し震え出したら、それを助けるのはいいが、あなたがやってはならない。それを楽しみ、その至福を感じ、それを許し、受け取り、歓迎しなさい。でも意図してはならない。
 もし震動を強いたら、それは一種の運動、体操のようなものになってしまう。その時、震えはあっても、それはただ表面的なものだ。それはあなたに深く浸透してゆかない。あなたは内側では、石や岩のように硬いままだ。あなたは操作する者、行為者のままで、身体はただそれに従っているだけだ。身体が問題ではなく、あなたが問題なのだ。
 『震えなさい」』と私が言う時、あなたの固さ、岩のような存在がまさにその根底から震え、それが流動体に、液体になり、溶けて流れるようになるべきだと言っている。そして、岩のような存在が流動体になる時、あなたの身体はそれに従うだろう。その時、あなたが震わせる必要はなく、震動だけがある。誰もそれをしてはいない。震えはただ起こっている。それをしている者はいない」 Osho

インストラクション
この瞑想は、4つのステージからなる1時間の瞑想です。

第1ステージ 15分間
ゆったりと立ち、エネルギーが足元から上昇して来るのを感じながら、全身を振動させましょう。身体のあらゆる部分が、手放し状態で開放されるのを許し、振動そのものになります。目は閉じても、開けていてもかまいません。

第2ステージ 15分間
感じるままに踊りましょう。身体全体を、それが動きたいように動かしましょう。ここでも、目は閉じても開いたままでもかまいません。

第3ステージ 15分間
座るか立ったままで、目を閉じて静止します。内側と外側で起こっているすべてを目撃し、観照したままでいます。

第4ステージ 15分間
目を閉じたまま横たわり、静止します。
                                                                                                       (www.osho.comより転載)


2015年6月22日月曜日

見つけた 何を? 永遠を 太陽に溶けこむ byランボー

さて、OSHOの瞑想といえば、ほとんどの瞑想テクニックにダンスが取り入れられています。

今回のWSでも、1日目はボーンアゲイン瞑想の前にダンスタイムがあり、2日目のクンダリーニ瞑想の中でもダンスはあります。

OSHOの講話を弟子たちがまとめた本の中に『Meditation  ~the first and last freedom~』という、OSHOの数々の瞑想法が紹介されている本があります。(日本語翻訳は『新瞑想法入門』)

その中に、ダンスについて書かれたところがあるので、ここに紹介させていただこうと思います。翻訳、ちょっと下手でごめんなさい☆


瞑想としてのダンス

〜ダンスの中に消え去る〜

エゴの中心である踊り手を忘れて、ダンスそのものになってごらん。

 “あなた”がダンスしているということを完全に忘れるくらい、深く踊りに入っていきなさい。そうすると、あなたがダンスそのものだということを感じ始める。

分かれているという感覚は消えていくだろう。そしてそれが瞑想となる。

もし、分かれているという感覚がそこにあれば、それはただのエクササイズ、体操だ。
それはただの深みのない単純なダンスだ。


ダンスそれ自体は良いものだ。
ダンスをした後は、リフレッシュして気分が良い。
しかし、それだけでは深みがない。

ダンサーはダンスだけが残るまで、消え去らないといけない。

So, what to do ?

全身全霊でダンスに入っていきなさい。
なぜなら、分離はあなたが全身全霊じゃない時に存在するからだ。
もしあなたが、脇に立ってあなた自身のダンスを見ているのなら、分離は残るだろう。
あなたはダンサーで、ダンスを踊っているにしかすぎない。
あなたは何か演技をしている。何かをあなたはやっている。

 それはあなたの存在(being)ではない。

 完全に巻き込まれなさい。ひとつになりなさい。

脇に立って傍観するのではなく、入っていきなさい。
それは“参加する”ということだ。


そう、だけど、それって簡単にできること? そんなに自我の解放って易しいこと?
ただ、OSHOの瞑想法は、抑圧してる感情を表に出したり、心の奥にある無意識かの記憶を呼び起こしたり、頭にばかり上ってしまうエネルギーを、ハートに降ろしたり... そういうことを身体への働きかけや、言葉を使うことで促します。それは、古代から受け継がれてるアートと、現代心理学でも使われている、科学に裏付けられたワークが融合したようなテクニックだったりします。






わたしがショックだったのは、インドのバラナシで出会った男性が見せてくれた、OSHOのコミューンで写したという写真(ほんとは写真撮影禁止です)。

そこには、文明化されてるはずの西洋人が、どこかの部族の原住民みたいに激しく踊っている様子が写された写真。その踊りのすさまじいオーラまでも写ってるのを見て、ただごとではないな〜 と。

そして、何日か前に、バラナシでばったり再会したシンさん(『OSHOとの出会い②』を参照)に、その写真のことを話しました。

シンさんが言うには、「世界のレイブやパーティーシーンの発祥はGOAだから。」と。

GOAという街は言わずと知れた、70年代にヒッピーやパーティーフリークスが集まった街だけど、GOAはOSHOコミューンの西に位置するビーチ沿いの街で、コミューンのあるPUNEから1番近いビーチ。
サニヤシン達が、GOAで始めたパーティーが世界のレイブカルチャーの始まりだということ。

初期のレイブは、ダンスに深く入ることで、マインドと向き合いながら、自分の核の部分への旅を意識しながら踊ってた人がたくさんいたと聞きます。それがトランスなのであって、お行儀の悪いクレイジーなパーティーが、もともとのトランスパーティーなのではありません。

クラブカルチャーとして、ダンスがあって、会話があって、コミュニケーションとしてのパーティーも、都会的で好きだけど、それだけじゃもの足りないなぁ と、ただ思うこともあります。

そして、OSHOの瞑想は、慎重な人ほど向いてると思う。

例えば舞台や、人生そのものの舞台の中で、狂いたいけど狂えない、感情を解き放ちたいのに抑圧してしまう。
頭で考えるよりも、もっと身体に素直になりたい、最近いろいろと忙しくて、自分が何を感じてるのかわからなくなった ....   どうにかしたい、という時に、他人は何もジャッジしない(他の人へのジャッジメントは、自分自身の瞑想の妨げになるという前提において)中で、安全が確保されてる場所でそれができる、という意味で。

meditation(瞑想)と medicine(薬)は、どちらも同じ語源のmediで始まる言葉。


そして踊りは、神様とのセックスだと思う。

(ハシオリスギ ☆)

ちなみにタイトルのランボーの詩。
ゴダールの映画『気狂いピエロ』の最後に出てくる詩。大好きな映画♡


2015年6月21日日曜日

クリシュナとラーダー 〜 恋愛から信仰へ〜

『ギータ・ゴヴィンダ』解説より


牛飼いの乙女ラーダとヴィシュヌ神の化身であるクリシュナの恋物語『ギータ・ゴヴィンダ』は、12世紀の東インドの詩人ジャヤデーヴァによるサンスクリット文学史の最後を飾る叙事詩である。


恋人に自分をおいてほかの牛飼い女たちと戯れるクリシュナに嫉妬し思い悩むラーダーは、親しい女友だちに心のうちを綿々と語るが、女友達のとりなしで、やがてクリシュナの心もラーダーのもとに帰り、両者は再び結ばれる、という比較的単純な内容から、サンスクリット語の可能性を極限まで追求したともいえる技巧によって独特の世界を創造し、普及の名声を残した。


この作品は、クリシュナ信仰の発展と並行して、インド全域まで広く愛され謳われた。後世への影響ははかりしれない。文学史、宗教詩の分野ではいうまでもなく、音楽、舞踊、美術に格好の題材を提供し、特に美しい細密画に彩られた多くの本が残されている。



1 作品の成立年代とその背景

  省略

2 作品の流行

15世紀までには、プリーで『ギータ・ゴヴィンダ』は非常に親しまれるものとなり、ジャガンナータ寺院に残された1499年の碑文は、『ギータ・ゴヴィンダ』が寺院の中で演じられていたことを記録している。


東インドの外への広がりについては、早くもグジャラート地方の13世紀末の碑文がこの作品の一節を引用しており、また15、16世紀に帰せられる、現存する比較的古い写本がグジャラート、ネパールに伝わっていることなどから、16世紀までには、『ギータ・ゴヴィンダ』 が北インド一帯に広まっていたことがわかる。


16世紀初めには、熱狂的なクリシュナ・ラーダ信者であり、後にはクリシュナまたはクリシュナとラーダーの化身ともみなされるチャイタニアが、プリーを訪れ定住する。彼の伝記は、チャイタニアが『ギータ・ゴヴィンダ』をとても愛し尊んだことを伝えているが、このことはその後この作品の歴史に大きな影響を与えた。チャイタニアの弟子たちは、クリシュナが幼・少年期を過ごし、ラーダーとの恋の舞台ともなっているブラジ地方に移住した者と、ベンガル・オリッサ地方にとどまった者に分かれたが、両派においてこの作品の様々な神学的解釈が試みられた。また、チャイタニア派の影響を受けて、ベンガル地方の仏教タントラの伝統とクリシュナ・ラーダー信仰を融合させたサハジャー派では、この作品は聖典の一つとされている。

南インドにいつ頃伝わったのかは定かではないが、南インドのヴィシュヌ・クリシュナ信仰の聖典であるアールワールの詩や『バーガヴァタ・ブラーナ』とともに、『ギータ・ゴヴィンダ』はバジャン(神への讃歌などで信仰心をたかめる集会)や舞踊・音楽において好んで取り上げられる作品の一つとなっている。

3、4、5も省略
男と女の秘密が書かれてるので、ここでは割愛します ♪


6 クリシュナとラーダー ----  恋愛から信仰へ

(略)
ジャヤデーヴァが『ギータ・ゴヴィンダ』にどれほどの宗教的な意図を込めたかは読者の判断にまかせたいが、ただヒンドゥー教においてはエロスとバクティは決して矛盾するものではない。それを端的に示すのがこの作品、恋愛の精髄を嫉妬や苦悩とともに官能的に描き出しながら、同時に信仰の書ともされる、この『ギータ・ゴヴィンダ』であろう。


なんとなくノリで始めたこの企画だけど .....
ベンガル地方のチャイタニア信仰の...  って、わたしが滞在してたインドの村の辺りのことで。
直感的にわかってはいたけど、サンスクリット語もベンガル語もわからないし、その村の土着的な信仰について、何が根拠になってるかなんて、聖人チャイタニアが住んでた土地なこと、ヴィシュヌの化身であるクリシュナ信仰、そしてベンガル州ということもあってカーリー信仰も強いところで、くらいしか知らなかった。

音楽は朝夕、バウルの音楽やバジャンがいろんなところから聞こえてくるし、村に住んでる人たちとのやりとりも、まるで戯曲のようで。美しいバラモンの少年と、村の人たちに「マハラージ」と呼ばれるそのお父さんとの生活は、まるでおとぎ話のようで、『ギータ・ゴヴィンダ』のような聖典が親しまれる中で育まれてきたカルチャーだというのはすごく納得、なのです。


そのうち『ギータ・ゴヴィンダ』ツアー やりましょぅ♪



(『OSHOとの出会い』の続きは、それほど反響あるわけではないので、なぜカミングアウトしたのか意図も受け取っていただけたのじゃないかなぁとも思うし、また機会やご要望あれば .... ということで保留 ♪)

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
インド舞踊のワークショップとmeditationの情報詳細は⇨ コチラ





『ギータ・ゴヴィンダ』の言葉

6/26〜6/28のインド舞踊のワークショップの中で、振付の題材になる『ギータ・ゴビンダ』という聖典から、詩篇に使われている言葉の注釈をちょっとだけ集めてみました。
(ワークショップ詳細は コチラ

詩篇そのものも、後日アップしてみようとお思います♪


(15)  「恋の情趣」:sringara(-rasa). 「美的陶酔」とも訳される「rasa」は、インドの古典演劇、詩作品、音楽などにおけるもっとも重要な美的概念で、主として、恋愛、勇猛、嫌悪、憤怒、滑稽、恐怖、悲、驚嘆の八つに分類され、後に「静寂」が付加された。


(22) 魔王ヒラニヤカシブは、「人間にも獣にも殺されず、夜にも昼にも殺されない」という恩寵を梵天から得ていた。そこでヴィシュヌ神は、半分獅子で半分人間の姿をとり、日没時にヒラニヤカシブを殺した、という神話にもとづく。ここではヴィシュヌ神の手を蓮にたとえ、ヒラニヤカシブの体を爪で引き裂いたその手を、黒蜂の群がる蓮にたとえている。


(56)  「愛神」(manasi-ja)は、弓と花の矢を携えて、人に愛欲の心を起こさせる愛神カーマのこと。カーマは、あるとき、苦行に専念するシヴァ神の瞑想を妨害し、その心をパールヴァティに向けさせようと矢を放つが、怒って目を覚ましたシヴァの額にある三番目の目から出た炎で焼かれてしまう。したがってアナンガ(ananga)「肉体を持たない者」とも呼ばれる。カーマの矢の弦は、連なった蜂たちでできていて、ここで描かれている春の野の描写にしばしば現れる蜂の唸りは、愛神が愛の矢をつがえて、人の心を愛に誘っていることも暗示している。
キンシュカ(kimsuka)は、香りのない真紅の花をつける花の名で、それが群生している様子が、ちょうど血に染まった爪のように見えるということ。


(131) 「警戒」(vrata)は、ある目的を成就するために、禁欲して苦行すること。ここでは褥を作るラーダを、クリシュナを再び得るために誓いを立てて苦行する行者に例えている。


(133)「ラーフ」(vidhun-tuda)は、「月を悩ませる者」という悪魔の名。神々が乳海を攪拌して不死の甘露をとりだそうとした時、ラーフは変装して神々に混じり、甘露が得られると真っ先に口にする。それを見ていた太陽と月がヴィシュヌ神に告げたため、ヴィシュヌ神によって首をはねられる。しかし、不死の甘露を飲んだ首だけは生き残り、密告した太陽と月をかじって復習し、日食と月食をおこすといわれている。


(152) ラーダの名を呼び続けることによって、「ラーダの乳房を再び抱きしめる」ことを、聖地で呪文を呟き続ける修行によって至福(「甘露」)に到達するというイメージにかけている。



『ヒンドゥー教の聖典二編 ギータ・ゴヴィンダ、デーヴィ・マーハトミャ』
の巻末の訳注より


2015年6月18日木曜日

OSHOとの出会い ②

二人目と三人目に出会ったサニヤシンは姉妹で、シルクの布を糸から染めて織ってらっしゃる作家さん達でした。

通ってた大学の近所の、陶芸やガラス細工や布などの、色んな作家さんの作品を取り扱ってるお店に、年下のクラスメイトで仲の良かったフミちゃんとよく遊びに行っていて、お二人がそのお店で布のexhibitionをされてる時にお会いしました。
その布がすごく綺麗で感動して  ....  。東京の郊外に工房があって、今でも青山にお店があるみたい。(こういう作品 ⇨ http://takenoie.jugem.jp/?page=1&cid=16 )

サニヤスネームは忘れてしまったんだけど(聞かなかったのかな)、真木さんというお名前だった。
その、たくさんの美しい布が飾ってある店内で、OSHOのコミューンで学んだというボディワークの話、「過去に受けた出来事のショックな感情って、身体の一部にエネルギーとして残っていてね、そこに働きかけることでその感情は解放されるのよ。」みたいな話をしてくれた。
そういうお話も、そんな綺麗な色の布を作っていらっしゃるのも、当時のわたしにとってとても刺激的で。


あとは、わたしにインドでのディープな体験話をよく聞かせてくれて、色んなことを教えてくれた純子さんってお姉さんがいて、サニヤシンではないけれど彼女はOSHOタロットをたまにやってくれた。そのOSHOタロットがとっても面白くって、それもOSHOについて知るきっかけになってる。

何だか、インドの縁とか書き出すと長〜くなっちゃうなぁ。

純子さんの話になると、やっぱりインドのクンバメーラの話にもつながっていくので脱線しそうになるのだけど、それはまた別の機会に。でも、純子さんが経営してた宮崎のマクロビカフェ(Cafe Happy)で会った、VJをやってるシンさん(Kagerou)もまた、クンバメーラとOSHOコミューンに行くきっかけをつくってくれた方で .....    。

話をすっ飛ばすと、クンバメーラの情報をくれたシンさんには、その初めて宮崎で会った後に、クンバメーラ後のバラナシでばったり再会。そこでOSHOの話をしてくれるのです。
その話もまた次回にして ..... 。

福岡で出会ったサニヤシンは、Devakantと真木さん姉妹の3人。
4人目のサニヤシンは、初めてインドに入国する時、タイからカルカッタへのトランジットのために、バングラデシュのダッカのホテルで一泊した時、夕食で一緒になった女性。

OSHOコミューンには行くつもりではなかったんだけど、彼女に会って、コミューンの話を聞いて、その時にムンバイからプーナ(コミューンのある街)への、バスでの行き方を詳しく教えてもらったの。
それでも、まさかほんとに行くことになるとは、その時は思ってなかったな .... 。

つづく。

OSHOのメディテーションとインド舞踊のWSをやります☆
インフォメーションはコチラ


You tube で見ると、歯車のマークから日本語の字幕に設定できます。


OSHOとの出会い

カミングアウト的なお話 ....  。

OSHOとは何者か... っていう話は、別の機会にして(だって書こうとするととても長くなるし、わたしには説明できない。)、わたしがOSHOを知るきっかけになったことについて、紹介させていただこうと思います。

初めてOSHOを知ったのは、福岡で大学に通っていた頃(高校は私立の女子校だったのですが、ほとんどの同級生は大学に進学するところ、私はクラブカルチャーに興味はあったけど進学には全く興味がなく、高校卒業して4年後に急に勉強したくなって大学に行った。せっかく入った大学は半年で行かなくなって1年で辞めてしまったのだけど。)で、同じクラスの年下の同級生と学校帰りにたまに寄っていたアフリカの雑貨屋さん、そこではとてもお洒落で素敵なお姉さんが働いていらっしゃった。

そのお姉さんは勝子さんという名前で、『スー族の祈り』というインディアンの詩を、和紙にとても美しい字で書いて周りの人達にプレゼントしてた。

勝子さんがお店のレジに読みかけの本を置いていて、その本がとても気になったので「それ何ですか?」って尋ねたら、それがOSHOの『存在の詩』だった。

私と友達の分を注文してくれて、『a cup of tea』という本とその2冊はそのお姉さん経由で私のもとに届きました。

勝子さんは、ガイヤシンフォニーやDi Aromaというメキシコのシャーマンが作るアロマオイルや、波動測定器の店や、七田チャイルドアカデミーやらいろんな良いものをたくさん教えてくれた。(小林正観さんのお話会にも何度か連れて行ってくれた。)

勝子さんは、インドのOSHOのコミューンでもミュージシャンとしてとても人気のあったDevakantというイタリア人の、福岡での音楽会をお世話されてて(というかお付き合いされてて)、私もその音楽会に連れて行ってくれ、Devakantを紹介してくださった。

Devakantはクラシック音楽の素養があって、その時は尺八や横笛など日本の楽器とシンセサイザーを演奏してた。ミュージシャンとしてNHKスペシャルで二回にわたって特集もされてて、それは松尾芭蕉の奥の細道を、その途中で出会う日本のミュージシャンとセッションしながら旅をするという番組。

今度はそのDevakantが、OSHOの本や、そのNHKの番組の録画ビデオや、自分のCDをイタリアから送ってくれて .... 。イタリアのお城みたいな自宅の写真や、彼は彫刻家でもあって、自身で創った美しい彫刻の写真も見せてくれた。

Devakantが送ってくれた本は『禅宣言(マニュフェスト)』。

それが一人目のサニヤシン(OSHOの弟子)との出会い。
福岡では三人のサニヤシンに出会いました。

それからインドにひょんなきっかけで行くことになって、全く予定してなかったのだけどOSHOのコミューン(まだその頃はアシュラムの雰囲気がまだ残ってました。Buddhaホールもあったし。)にも行くことになって。

一度に書けないので

つづく ..... 。

Devacantの創る音楽は本当にすばらしくって大好きなんだけど、今そのCDは手元にない。
探してみよっと。

2015年6月17日水曜日

カーマスートラを踊る♪ ~ サダと踊るオディッシーダンス ~

6/26〜28
ワークショップと瞑想会のお知らせです。

    オディッシーとは … 


インド七大古典舞踊のひとつ。
東インド オリッサ州に伝わる踊りで、
起源は神に仕える巫女(マハリ)の奉納舞踊にあります。


『 動く彫刻 』 ともいれ、
力強く直線的な男性的要素 と、優雅な曲線を描く女性的要素 が融合しています。
螺旋を描いて展開する音楽と動きも、大きな特徴です。