2010年10月10日日曜日

三島由紀夫と鳥肌実①

謎なことは理解したい。
理解できなくても、自分なりの解釈でいいから理解に近づきたい。

三島由紀夫の死って、衝撃的で日本人の中で伝説になっている事件で、誰でも知ってるようにわたしも日本人として自分とは切り離せない出来事のひとつ。


彼の行動の動機の一番大きな要素ってナルシシズムだったんじゃないかってわたしは思う。
政治的な信念や思想というよりも、彼が一番信仰していたのって「美」なんじゃいかな。

資本主義日本の高度経済成長から産まれた歪みや、文化的衰退へのサクリファイス的な役割を自ら担ったっていう要素もあると思う。
そう考えると、酒鬼薔薇聖斗の事件もそういう要素は無きにしもあらずだとわたしは思ってる。

ナルシシズムだけでああいう行動は起こせないけれど、逆にそうだとしたらわたしはもっと尊敬するだろうな。
っていうのは、もしも右翼的な思想や政治的な理由が動機だとしたらそれこそ精神の上での自我の崩壊を、現実世界で現すことでしか叶えられなかったっていうことだろうと思うから。
まるでゴダールの“気狂いピエロ”のフェルディナンみたい。

そこで鳥肌実、なんだけど、彼は自分の思想や主張は堅く構築されているけれど、それを自ら茶化すことができる。
三島由紀夫に負けずとも劣らない革命的な思想家だとわたしは思ってるし(あんまり説得力ない・・・?)、ナルシストだと思うけれど、そういう自分をつきはなして見ることができて笑えることができるって、わたしは男として二人をみさせていただいた時に、鳥肌さんのほうがタイプ、です。


三島由紀夫がもしも自分の自我を崩壊させるような女と出会っていたら、割腹自殺なんてしなかったんじゃないかなぁ。
わざわざ自分を殺すことなんて現実世界でやらなかった、と思うんだ。

だから、もしもその動機が「美」のためだけだったとしたら、それは考えられないほど崇高だと思うのです。
きっとそうなんだ(!)。

“ナルシシズム”っていうのと、“「美」への傾倒”っていうのをわたし、まぜこぜに書いちゃってるけど、こういうのを何っていうんだろう。
神のためのナルシシズムと、自分だけのためのナルシシズムって全く違うと思うんだ。

三島由紀夫は、日本が経済成長する(勉強不足でこういう表現しかできないけど。)中で、この国が失って行くものを憂いて、自らを「美」に捧げたんだろう、と思う。

立ち止まって、三島由紀夫を読んでみる必要性が出てきたみたい。

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