2016年10月29日土曜日

心当たりのない心の痛み 〜ブレスワークでの体験〜

一昨日のブログは、言葉にしてみると後になって気づくこともあって …
火山が噴火して、とか、そこにわたしはあんまり注目してなかったんだけど、後でその意味に気づくと小っ恥ずかしくなっちゃいました。





それで、先日のフィラクのブレスワーク(ブレスとは呼吸のことです。)での自分の体験のことについて、シェアしようと思い書いていると、いろいろと説明が長くなるので端おって ... 。




ブレスワークとは …
(ナチュラルLSDセッションのようなもの?)

(フィラクのは、オショーのワークや質も入ってるのでこの説明が全てではないけど。)




このあいだのワークで体験したのは、「悲しみ」だった。

前半の、本編に入る前のエクササイズ的なタントリック・ブレスのワークからとてもインテンシブだったので、後半の本編はすぐに心の深い部分に届いたみたい。




最初から悲しくて、とても意外だったんだけど、前回みたいに怒りがまた出てくると思っていたのに、その日は悲しみでした。



涙がずっと止まらず、呼吸が深く速くなるほど深い感情に届いていき、その悲しみの間、父親の顔がずっと頭の中に浮かんでた。




どんどん心の奥底から悲しみが湧いてきて、この悲しみは何なんだ、こんなのわたしの人生で経験したことのない悲しみだぞと思いながら、最後は断末魔の叫び声みたいなクレイジーな大声をあげて、「ほんっとにこんな悲しみ、心当たりない …。」と思いつつ、コテっと寝てしまいました。






直観で、これは父親の悲しみを背負って、子供時分に身体で受け止めていたんだろうと思った。



子供は、愛ゆえに両親の苦しみや悲しみを無意識に背負って、大人になってもそれを身体に内包したまま自己同一化してる場合がたくさんあるらしい。

というサイコセラピーの定説に従うと、そういうことだと思う。




それにしても、父親はこんな悲しみをどこで経験したのか、それも疑問。
そこでわたしのマインドは、祖父の戦争体験だろう、とわたしに伝えてくる。(あくまでもマインド。)




昨年、祖父に会った時に、
「美帆に、戦争の話を一度しとかんないかんなぁ。」と言ってたのが、気になってた。祖父が戦争について、自分の体験について口にしたのをその時初めて聞きました。





そう思うと、とてもおじいちゃんに会いたくなって、そんな悲しみ、苦しみを抱えて生きていかないといけない戦争って !
と、いてもたってもいられなくなる。



想像を絶するような、壮絶な感情を体験するんだと思う。




そのおじいちゃんの感情、バイブレーションを、父親が受け継ぎ、それをわたしが受け継いでた。
その悲しみが解放された(少なくとも意識化された)先日のブレスワーク、ということだったんじゃないかな … 。(頭での分析だけど)




今はできる限り、これからは戦争を体験した方のお話を聞きに行きたいと強く思うし
、日本が戦争できる国に、なんて絶対だめ。


一昨日の夢は、このブレスワークの後だったので、やっぱり「息」は「生きる」ことに直結しているなぁと。




フィラクのブレスワークは、月一回なんだけど、行ける時は気の済むまで毎回通いたい。




ブレスワークはMICAさんのリバーシング(生まれる時のことを再体験することからre birthingと呼ばれるらしい)も、かなり強力だったし、インドの村での生活から帰ったばかりの頃は、どうしても呼吸が浅くなってしまう日本での生活の中で、快調な体と呼吸を取り戻すためにAIKOさんのブレスワークセッションも受けに行った。
ドゥワリのタントリック・ブリージングも気持ち良かった。



MICAさんのリバーシングは、父親との関係の大きな転換点にもなったと思う。その話もまた別の機会に。





ブレスワークは、もっと日常生活の習慣の中に取り入れたい。
都会にいても、いつも自然と繋がってる身体でいること、それを取り戻したいなと。




























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