2015年12月3日木曜日

道化(clown)とは .... ?




 祝祭が男女や階級といった日常的秩序の逆転を目ざし、いわゆる「逆(さか)さまの世界」の現出を目ざすように、役割としての道化も、たとえば両性具有的であるなど、徹底的な両義性を特徴とする。モトリー(だんだら服)とよばれるそのちぐはぐな衣装に道化の両義性は象徴される。日常世界の二項対立的な範疇(はんちゅう)の境界域に出没して、世界がどちらか一元的な価値観へと硬化するときには、抑圧された側の価値観の側から、そうした世界を嗤(わら)い攻撃する。社会への風刺者という形をとるわけだが、社会道徳は概して、人間が肉体をもつゆえの猥雑(わいざつ)さ(性、飲食、排泄(はいせつ))を抑圧する傾きがあるため、その批判者たる道化は逆に、人間の肉体性を誇張する。人間を精神性や合理性とひとまず切り離してただの肉体、風の通り抜けていく袋とみるような肉体観を道化は体現している。ちなみに「フール」のラテン語源フォリスfollisは、「袋」ないし「鞴(ふいご)」を意味するのである。

 あるいは、道化はもっと深い次元で人間生命力の抑圧された無意識の部分を表現しているということもできる。すなわちフロイト心理学でいうエスEs(本能的欲動。イドidともいう)ないし快楽原則を、ユング心理学でいうアーキタイプArchetype(元型)を表現する。文化が人間の肉体的猥雑さを抑圧し精神に優位を与えようとするとき、道化は抑圧された肉体性を担って表れ、文化の硬直化に対して、「補償」(ユング)として機能するのである。

 こうして道化は、日常的世界が抑圧するさまざまの要素(性、暴力、破壊、蕩尽(とうじん)、放恣(ほうし)、非合理)を表現し、そういう負(ふ)の役割を担うことで文化に平衡を保たせてきた。それは、硬直しつつある共同体が自らを活性化するために要請する、笑いを方法とした安全弁なのだということができるし、それで社会が賦活(ふかつ)するとすれば、道化には古代の民俗的豊穣儀礼にまで淵源(えんげん)するとおぼしい活性化機能があるのだということになる。さらに安全弁としての機能を果たした道化を追放することによって、社会がふたたび日常的世界に戻っていくのだとすれば、道化にはスケープゴートとしての役割があることにもなる。道化はその過剰な性的表現を介して世界に豊穣をもたらし、社会に平衡を保たせ、文化の更新に力を貸しながら、その役割を果たせばふたたび抑圧されねばならない。
                          『コトバンク』より転載
「Open the creativity」12/26,27  
〜内なる男性性と女性性のクリエィティビティに光をあてる〜  
ワークショップ詳細:http://bettybearscabaret.blogspot.jp/2015/11/open-creativity.html
                              


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