2010年12月22日水曜日

年末に疼く傷

引っ越し先も決まったし、弟の結婚式の準備もできたし、年明けの小さな劇場企画の公演のイメージもちょっとずつ湧いてきたし、一安心。
やることがたくさん。

今わたしに必要なのは甘えられる人なのかもしれない。
と、今日ふと思った。

またぶっちゃけるか。

父親に、ちゃんと保護してもらうとか、経済的な安心を与えてもらうとかっていう経験が薄いので、わたしは社会との関わり方がいまいち未熟。
父親との関係性は、社会やお金との関係性に影響を与えるらしい。

どちらかというと、父親は私に対して女性として支配したいという欲求が強かったんだと思う。
それは何人かのベテランセラピストにも指摘されたこと。
私を育てるときは若くて精神的にも未熟だったのだと思う。
そういう父親に育てられた娘はどうなるかというと、だいたい女性エネルギーを犠牲にして何かを得ようとしてしまう。
その形のわかりやすいのが売春という行為。
自分のヒトとしての才能を発揮して社会と関わること、そういう関係性に信頼が持てなくて、女性として男性(社会)を喜ばせることで社会に存在しようとする傾向があると思う。
確信犯だとしても、社会とつながるときに女の性を利用する。

あんパンマンみたいに自分を食べさせるか、食べられるのかの違いだけど、どちらも自分を犠牲にしている。

ちゃんと書くと長くなるので詳しいことは端折るけれど、それが私の闇(病み)の一部を形成している。

じゃあ、その足りなかった経験をどう補えばいいのかというのを今日考えていたんだけど、当たり前に、包容力のある男性に思いっきり甘えればいいんだって答えが出てきた。

だけどそれだけじゃ依存で終わってしまう気もする。

だぶんもっといい方法が見つかるんだろう。

来年早々、弟が結婚するし両親にも会うし、色んなことが変化すると思う。
父親はもう昔の父親じゃないし、もっと親子らしく関われるようになるといいな。

でもこういうこと書くと、気持ち悪くなってくる。
父親と仲のいい親子関係なんて考えられない。
表面上は仲良くしてるけどね。わたし優しいから。
この嫌悪感を抑圧してるとたまに爆発して、父親や周りのおじさまたちを思いっきり傷つけてしまうようなことをやってしまうのです。
そんな私の一部を私の全体に統合するということをやらなきゃ、なの。

なんだかまだ表面にでてきてない感情がごっそりあって、ちゃんと整理して書けないので,
とりとめのない感じだけど、久しぶりにわたしの内面生活を暴露してみました。

もうすぐひと区切りな気がするんだよね。

そうそう。だからあの人に見せなきゃならないの。わたしが創った作品。
わたしが創ったものくらいで自我が脅かされないくらい、おっきな心の持ち主の人に。

オノ・ヨーコさんが言うには女のほうが男よりも能力があるらしいよ。
へへん。

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