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2011年5月3日火曜日

父性と社会

今、モナコにいる友達にmailを送ったんだけど、ブログ読んでる皆さんにもシェアしたくなったので
公開するねw
個人名は◯○に変換してます。


最近ブログ更新してないし、友達へのmailだから素直な言葉で書けてると思うので、手抜きだけど転載しちゃいます。


自分自身のトラウマ的なものを吐き出したいわけじゃなく、けっこう共感してくれる女子もいると思うし。




“彼とはもう会ってないよ。

スターサファイアいいねw

こないだリバーシングのワークすごくよかった。
osho系じゃなかったんだけど、5000円だっし、癒したい焦点は自分で意図できるしね。
わたしたち錬金術師だから。その環境を提供してくれる場があれば自分でできる。

やっぱり父親に健全に愛されてなかったこと、人間としてじゃなく都合のいい玩具として扱われてたことが凄く傷になってるみたい。

今の父親はもう昔の父親とは違うからわたしも意識の上では許したい、もう普通に仲良くしたいと思ってるんだけど、無意識にある感情が出て来てコントロールできないほどに、この間鹿児島に帰った時になったから、あー、まだまだ根深いなー、と思った。

その後、リバーシング受けて、すぐ感情が出て来て、それは父親に認めてもらいたいっていう、ヒトとして認めてもらいたいって感情だった。
父親にオンナ、とかおもちゃじゃなくってヒトとしての能力が認められるのって、社会に受け入れられてるんだって自信につながるものだと思う。
その認知がなければ、sexの対象としてオトコと関わったり、性的魅力を利用して社会と関わる。
それか、極端にフェミニストになったりするのかも。

わたし、こないだ、“Betty Bears' Cabaret”っていう舞台をやったんだけど、それを一番見せたいのって◯◯さんなのね。
でもそのDVDをなかなか渡せないでいる。
その理由もわかった。
すごく恐いの。自分が◯◯さんに認められないのが。 だから渡せない。
だけど、勇気出してわたそうと思ってる。

シェアできてよかった♡
また会えるの楽しみにしてる。
facebookの写真面白いね! ”          


久々の投稿でしたww
おやすみん☆

2011年3月6日日曜日

うさぎ

今、中村うさぎさんの“壊れたお姉さんはすきですか?”という著作を読んでいる。
御茶の水のvilledge vangardで購入。

villedge vangardへ行くといつも知的好奇心の、普通に暮らしてるとなかなか刺激してくれないから眠ってしまいがちな部分が刺激されるから、たまに行くと色んなものに目移りしながら1,2時間はあっという間に過ぎちゃう。

中村うさぎさんは“愛か、美貌か”っていう著書の中で、彼女は顔の整形を何度も繰り返してるので有名だけれど、顔が変わることで自意識がどう変化するのかを客観的に観察してレポートされてて、とても面白い。

本当にそうだと思う。特にオンナは、ちょっと太ったとか痩せたとかで顔に変化が現れるとその日の気分や体調まで変化してしまう。
うさぎさんの本は、30代女子にとって、外見の変化を余儀されない現実と向き合うのに色んな意味での示唆が含まれているんじゃないかな、と思う。

で、今日もその“壊れた・・・”を開いてみると、今のわたしに必要な内容のことが書かれてあって、早速もう半分まで読んでしまった。

それは、オトコは「俺様幻想」を大切にする生き物で、その幻想はとても脆い自我の上に立脚された砂上の楼閣である、というようなことや(だから、オンナの毒舌なつっこみはその楼閣を崩すのでそれはオトコの沽券に関わる。ので、お笑い系女子はモテない、とか現代にありがちな男女関係やキャラのパターンに当てはめて分析されてる。逆にオンナは恋愛に自我の変革を求める傾向にある、らしい。なるほど!)、若いホストにはまってプチ整形したり、貢いだりして四苦八苦したのが、実は忍び寄る老化の影に脅え、自分が現役のオンナであることを確認したかっただけで、結局は自分自身に愛されいだけのナルシシズムだった、っていう洞察。
その洞察に至ったのも、自分の顔がボツリヌス菌注射で顔が若返ったら、ホストを手に入れたいと思う動機がなくなってしまったっていうことからだっていうんだけど、それも納得できる。

自分にないものを欲しがる、というと簡単だけれど、人は無自覚に異性に恋をしてるものだと思うので、中村うさぎさんの洞察はシンプルながらとても深くていらっしゃる、と思うのです。

結局、相手に求めちゃだめなのね。
としか詳細などは書けませんが、努力を怠っている自分を改めて省みることができた中村うさぎさんの著作に感謝、です。

“アグレッシブな乙女心”のしばらくの行き場が定まりました。

2010年12月22日水曜日

年末に疼く傷

引っ越し先も決まったし、弟の結婚式の準備もできたし、年明けの小さな劇場企画の公演のイメージもちょっとずつ湧いてきたし、一安心。
やることがたくさん。

今わたしに必要なのは甘えられる人なのかもしれない。
と、今日ふと思った。

またぶっちゃけるか。

父親に、ちゃんと保護してもらうとか、経済的な安心を与えてもらうとかっていう経験が薄いので、わたしは社会との関わり方がいまいち未熟。
父親との関係性は、社会やお金との関係性に影響を与えるらしい。

どちらかというと、父親は私に対して女性として支配したいという欲求が強かったんだと思う。
それは何人かのベテランセラピストにも指摘されたこと。
私を育てるときは若くて精神的にも未熟だったのだと思う。
そういう父親に育てられた娘はどうなるかというと、だいたい女性エネルギーを犠牲にして何かを得ようとしてしまう。
その形のわかりやすいのが売春という行為。
自分のヒトとしての才能を発揮して社会と関わること、そういう関係性に信頼が持てなくて、女性として男性(社会)を喜ばせることで社会に存在しようとする傾向があると思う。
確信犯だとしても、社会とつながるときに女の性を利用する。

あんパンマンみたいに自分を食べさせるか、食べられるのかの違いだけど、どちらも自分を犠牲にしている。

ちゃんと書くと長くなるので詳しいことは端折るけれど、それが私の闇(病み)の一部を形成している。

じゃあ、その足りなかった経験をどう補えばいいのかというのを今日考えていたんだけど、当たり前に、包容力のある男性に思いっきり甘えればいいんだって答えが出てきた。

だけどそれだけじゃ依存で終わってしまう気もする。

だぶんもっといい方法が見つかるんだろう。

来年早々、弟が結婚するし両親にも会うし、色んなことが変化すると思う。
父親はもう昔の父親じゃないし、もっと親子らしく関われるようになるといいな。

でもこういうこと書くと、気持ち悪くなってくる。
父親と仲のいい親子関係なんて考えられない。
表面上は仲良くしてるけどね。わたし優しいから。
この嫌悪感を抑圧してるとたまに爆発して、父親や周りのおじさまたちを思いっきり傷つけてしまうようなことをやってしまうのです。
そんな私の一部を私の全体に統合するということをやらなきゃ、なの。

なんだかまだ表面にでてきてない感情がごっそりあって、ちゃんと整理して書けないので,
とりとめのない感じだけど、久しぶりにわたしの内面生活を暴露してみました。

もうすぐひと区切りな気がするんだよね。

そうそう。だからあの人に見せなきゃならないの。わたしが創った作品。
わたしが創ったものくらいで自我が脅かされないくらい、おっきな心の持ち主の人に。

オノ・ヨーコさんが言うには女のほうが男よりも能力があるらしいよ。
へへん。

2010年11月15日月曜日

dis identify

私の奥に正座して座ってる、着物を着てうつむき加減で少し色気のある古風な女。
その女は旦那様に忠実。
おそらく契りを結ぶ(笑)ときも素直に足を開く女。
従順な女。
彼女の全てがために、彼女の命でもある旦那様。
尽くすことが快感。演歌の花道。
いえいえ、それが美徳でなかったら何がこの世の美でありましょう。

男にとって都合良く創られた人格。いつの時代から?

この女性。従順に見えて実はとってもかたくなに自分の居場所を譲らない。
だって苦労して耐えて、手に入れた地位だもの。
私は妻ですもの。貞節も守ります。
良い結婚をするために処女のふり。
世間なんてなにも知りません。あなたが教えてくださいな。

いない?こんな女が自分の心の、体の奥に。
日本人女性にありがちな条件付け。お母さん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん・・・から受け継がれてきたキャラ。
その人格が色んな足止めをするんだよね。

にしても、そのコンプレックスが日本の卑猥なエロスたっぷりの芸術を産み出したのだとも思うからまるで良くないとは言わない。
だけど、その人格に無意識でコントロールされたくはない。

自己同一化しない。
同一化しなければ客観視できて統合できる。

2010年9月30日木曜日

汚れ

どうして子供みたいなきれいな心のまま大人になれないのか。

子供は既成の価値観なんて始めは持っていない。
大人になるに従っていろんな考えを自分で選ぶ間もなく脳にインプットしていく。
そして感じることも身体に蓄積させていく。


子供って色々とやってみるし、イメージも豊か。
行動も愛に溢れてる。

なのに、周りの大人が子供の言動を自分の考えで判断、理解してしまう。
子供はそんなつもりじゃないのに。
でも周りの世界、大人がそういうふうにその子に対してあるイメージを持つと、その子はそれを信じる。
本人はそんなつもりじゃなくても、自分はそういう人なんだってアイデンティティーを形成してしまう。自己イメージがそうやってできあがってしまう。
それが汚れになる。

もちろんその逆もあるよ。
でも、今はこっちの話。

大人は自分の理解できる範囲内でその子を限定してしまう。
大人になって頭が固くなればなるほど、自我が脅かされることから自分を守るようなことをする。
カルチャーショックを受けるような人や出来事を排除しようとする。

生きづらさ。

人の勝手に作ったイメージを受け入れないこと。
反抗するとエネルギー使うから、ただ受け入れない。

競争社会でのドラマにはなるべく関わり合いたくない。
それは本人の自由。
でも私たちの社会は競争社会で成り立っているというジレンマ。

考え方の癖、マインドの根っこがそこでの価値観に汚染されてる。

この社会で生きながら巻き込まれないことは可能。
それは戦いでもある。

だって正直言って、これは偉大なる秘密だと思うけど、楽園はその外にしかないから。
そこの中にいては何も見つからないよ。

人間が作ったきまりはそんなに大切じゃないのに。

2010年9月4日土曜日

ふぅ 



恋愛という幻想におちいるな、というきびしい倫理的な警告は、愛とは無縁の領域からやってくる。それらはエロスを謳歌する人生からのメッセージではない。エロスの価値を認めない人生から送られてくるメッセージだ。

(略)

少しでも魂に触れる生活習慣をもっていれば、それだけ、恋愛の幻想や正当化できない欲求を信頼することができるようになる。

ウィリアム・ブレイクはこう語っている。
「満たされぬ欲求を大切にする前に、揺籃の中の幼児を殺せ」。論理が知性を導くように、欲求は魂を導く。

われわれは論理を信じる世界に生きている。論理を信じるあまり欲求を信じようとしない。もし欲求を正当なものとして認める世界に生きていたなら、欲求をどうやって信じればよいかわかるだろう。

欲求はしばしば論理を捨てるようにわれわれに要求する。論理を重視する人々には愚かに映るかもしれない。エウリピデスは『バッカスの信女たち』の冒頭場面で、見事に愚かさの本質をついている。

まずディオニュソスの秘技を祝う準備を整えた高官の老人、ティレシアスとカドモスが女装で登場する。そして、現代不条理演劇に登場する道化者のような二人の人物のかたわれがこう言う。「われわれは狂った街に住む二人の正気の人間である。」

幻想の中でわれわれが言うべきなのは、このセリフなのだ。魂の観点に立てば、われわれの狂気は正気である。だからこそわれわれは狂気におちいるといえる。ディオニュソス的な人生は、非論理的なものに仕える人生であり、境界を侵犯し、熱狂を追い求めてやまない。



警戒心が自己防衛からくるものでなければ、幻想に飛びこんでも、文字通りの狂気におちいることはないだろう。狂気とは、自らの栄養になるものや喜びをもとめる魂の愚かさなのだ。

知性や観念が情報を必要とし、身体が食べ物や運動を必要とするように、魂は真の快楽と喜びを必要とする。魂は自らの幻想や真剣な遊び、あるいは意味深長なゲームに興じることを欲するのだ。

・・・(続く)



心理療法家 Thomas Mooreの著書より

喜捨

今は色んなものを捨てるとき。

10代後半から20代後までつき合ってたヒトの影響が強くて、そのヒトとの関係の作り方を今でもやろうとしてしまう。
それはその時が幸せだったからなんだと思う。

でももの足りなくなったから別れた。

なのにそのときの関係を今のヒトにも求めてしまう。
全く違うタイプなのに。
その彼の後に出会ったヒトはみんな、これこれしちゃだめとは言わない。
権力的志向じゃない。
で、女性上位が好き。


そういうことを2,3日考えていて昨日のようなブログの内容になってしまった。
びっくりするヒトもいるかもしれないから削除しちゃったけど、本心。
自分のために、頭の中を整理するために書こうと思って、うまくいかなかったから結論だけ書いちゃった。

色んなことがカッチリくる。
罪悪感なんて早く捨ててしまおう。

2010年8月28日土曜日

私のゲシュタルトに関わること

今度こそ終わりかもしれない。
彼とは3週間連絡を取っていない。
ちょうどジャンさんのワークショップがあっていたので、どちらにしろ会えなかったんだけど。
「もう絶対に会わない。連絡先消しといて。」
そこまで言ってしまった。
それくらい、許せなかったんだもん。
だけど、わたしが「もう会わない。」って言っても必ず彼の方から連絡をよこしてくる。
またわたしが会わなきゃならないような演出をしかけてくる。
そこらへんに関して、彼は偉大な作家くらい演出がうまい。
うまい、というかただかっこ悪いことは絶対にやりたくないっていうプライドがそうさせてるんだと思うけど。

彼は自由すぎるくらい自由。
だから女の子遊びもひどい。
歌舞伎町でも遊びなれてる。
歳はわたしの4つ下なんだけど、年配の男の人みたいに女の子を買ったりする。
歌舞伎町のそういう場所に行って、ソープ嬢に気に入られて外でつき合うこともしばしばあるみたい。
つき合ってた女の子で自殺しちゃったコもいるらしいし、彼の話を聞いてると、彼一人の人生で映画が何本も撮れちゃいそうなほど。

悪い奴なんだけど、一緒に飲んでたり遊んでたりすると、周りを盛り上げるし男の子にも大人気。
ただ冷たいわけじゃなくて、女子供に好かれるやんちゃで面白いひと。
バカばっかりやるんだけど、その反面すごく客観的に状況を見てる。
深い闇を見てるから弱音をはく人には、励ますことはしても本気で同情はしない。

で、美しいから、生きてるだけで罪な男。
そして一般的に言うダメな男。

彼は、子供の頃に弟と一緒に両親に捨てられてる。
施設で育って、ある時期におばあちゃんに引き取られたらしい。
私はその話を彼からじゃなく、彼の親友に聞いた。

彼がダメな原因はそこ。
母親に認めてもらってない。
だから心の底で、自分のことを価値のない存在だと思ってる。
自分のほんとの感情につながれず、女遊びがひどいのもそこ。不安なの。弱いひと。
だけど、お母さんに捨てられるって大きいことだと思う。

ダメって言っても彼の元仕事場の人達に会ったときは、彼の仕事を誉めてる人はたくさんいた。
ハーレーのカスタムの仕事を専門でやっていて、「彼はスゴいんだよ。」っていう話を何人かの人に聞いた。彼がまじめに仕事してる姿ってあんまり想像つかないんだけど。

中途半端だけど、つづきはまた今度で。
けっこうわたしにとってもディープな問題だから、ここでは今解決できない。
わたしのゲシュタルトに関わることで、糸口が見えたから書いてみた。
ゲシュタルト療法
http://digitalword.seesaa.net/article/152750997.html

2010年8月5日木曜日

うつぼ ~utsubo~

書くの躊躇するんだけど、こんなシンクロあり?って思うから。

今朝、夢を見た。

出雲大社かどこかの、御柱を取り替えるときに大木から作られた柱を川岸に運んで川の中まで柱ごと突進する激しいお祭り。
その風景。

場面変わって川の中。

巨大なうつぼがいる。
男達が大勢で必死でそのうつぼを取り押さえようとするけど、うつぼは凄まじい勢いで川の水面に上がってくる。 
一人の男がうつぼの頭にまたがると、うつぼは水面から龍みたいに上昇する。
水上に上がって来ると川にかかってる橋の下をうつぼがくぐり抜けようとして、股がってる男がひっかかる。

男は股間を強く打ってしまう。

という夢。
御柱は男根の象徴かな?
変なゆめ〜。

わたし、すごく心あたるの。
男の子を去勢しちゃってる。
ヒステリックに!
私の男性エネルギーが活発すぎる、今。
明け渡すことや受け入れることへの恐怖が底にある。
活動しすぎ。
今はそういう時期と思いながらも、もう少しスローダウンした方がいいみたい。

クンダリーニmeditation行かなきゃかな。

sexial energyを抑圧すると神経症になるって、自分が精神病になるまで研究したのがウィルヘルム・ライヒ。
energyをsexではなく他の方法で発散して表現するのをフロイトは昇華と言っている。
例えば芸術活動とか政治運動。


うつぼさん、治まってくれ。

2010年7月22日木曜日

罪悪感とエクスタシーの深さ

あるセラピストが言っていた。
与えられたアイデンティティをおうちに例えると、そのおうちの外には私たちを待ちかまえている犬が二匹いて必ずかみついてくる。その二匹の犬は、罪悪感と恐怖。
両親や学校の先生など、周りの大人たちがせっかく造ってくれたおうちを出ることは罪悪感や恐怖感を伴うらしい。
自分でアイデンティティを創造すること、新しい世界に一歩踏み出すには勇気がいること。

何年か前、その時に仲の良かったBFは、わたしをまさに新しい世界に導いてくれた。
自分史上最高のエクスタシー。

かなりぶっちゃけちゃってるけど、これを書く、と昼に女友達と約束してしまったので・・・。

そのBFと一緒に寝ている時に見た夢は何度か同じような夢で、母親の夢だった。

私とそのBFが、子供部屋に一緒にいる。
BFは王様のように座っている。そこに母親が外出から返って来てドアを開けようとする。
ドアには鍵がかかっていて母親がヒステリックに「鍵が開かない!鍵が開かない!」って怒鳴ってるんだけど、私達は鍵を絶対に開けない。
っていう夢を何度か見た。

母親への罪悪感から解放されるほど、エクスタシーって深くなるんだなって当時の私は解釈した。おばあちゃんから母親へ、母親からわたしへ受け継がれた性への条件付けが一つ解き放たれた瞬間。
やっぱり、「いいの〜?わたしだけこんなに気持ちよくなっちゃって。」っていう罪悪感ってあると思う。
性に関する抑圧って悲しみを伴うから、その悲しみを娘のわたしも背負わないとって女の子は無意識に思ってしまうみたい。

今の恋愛でぶちあたってるブロックもこの種の罪悪感なんじゃないか、っていう話をお昼に女友達としていて、こんな内容になってしまった。


午後に紀伊国屋へ行ったら、五階にユングの特設コーナーができてて今まで見かけたことのなかったユングの本がたくさん置いてあって興奮した!
だって、ユングとクロウリー夫人の対談とか。その本はクンダリーニヨガについて書かれていて、チャクラとその錬金術的な変容みたいなことが書かれていて、心理学っていうよりもエソテリックな内容で面白そうだった。


どうでもいいけど、海に行って、太陽の下で波とひとつになりたい。
夏だしな♪