2010年10月9日土曜日

神田リハ

今日はAsuka(Itagaki)ちゃんがサルサのレッスンをしてる、民家をお洒落に改装したイベントスペース兼スタジオに集まる。

またわたし、仕事の帰りでちょっと遅れて参加。

少しの時間でも面白いシーンができる。
みんなクリエイティブだから、どんどんideaが出てくる。

でも今朝5時に帰ってきて、睡眠1時間のわたしは意識朦朧。

これから新宿ゴールデン街。
日曜日夜は、舞踏の稽古場へ久しぶりに顔出して諸先輩方から良きアドバイスを頂こうと考えている。制作のことでも。まだ照明さんが決まってないの。
以前、ばっちしわたしのイメージ通りにやってくれたAさんはスケジュール合わず、美学校のイベントでやっていただいたSさんからはまだ返信来ないし。

月曜日はプレイベントで料理担当のさっちんとランチしながら打ち合わせ。

それにしても、わたし子供の頃からやってることとか役割とかあんまり変わってないな、と思う。
小学校のころは、イベントとかレクリエーション企画したり、演劇の脚本書いて友達集めて劇を作ったり。
高校生のころも、ヒップホップジャズをやってて女の子4人でグループ作ってイベントやコンテストに出たりしてた。
そういう時は、今でも仲良しの直子に衣装作ってもらったりしてたんだよね。

けっこう人気者で、当時流行ってたダンス甲子園に出てたメロリンキューのYさんと、東京のT君(第1回ダンス甲子園で準優勝のグループのリーダー。)が福岡でイベントやったときなんかも、呼ばれて前座で踊ったりしてた。
そのイベントの後、Imaginっていう福岡、親不孝通り脇のマリアストリートにある(あーなつかしいっ。)ディスコ(まだ高1のときはディスコだった。クラブに行き始めたのは高2で、ハウス全盛期!!)に一緒に行ったんだけど、私たちのダンスグループの中で1人だけ1つ年上のみほちゃんってコがいて、同じ名前なんだけどさ、かなりませてて、T君と夜の親不孝通りに消えてったんだよね(笑)。


当時、空き地や駐車場や公園に集まって振り付け考えたりしてたんだけど、今やってるのってその時とおんなじだなーって。

だけど、ダンススタジオの先生が色々と私たちを自由にさせてくれなかったりで、いつのまにかやらなくなってた。子供には理解できない大人の事情みたいなものを押し付けられそうになって。でもそのときはわからなかったけど、大人の策略みたいなものがあったのね、と思う。当時小学生だった先生の子供らは、今はA.Hさんのツアーダンサー等で活躍してる。黒人のハーフの男の子達でかわいかったんだよ。

あと高校生だから、ボーイフレンドができると彼氏と一緒にいたいからみんなダンスに時間を取らなくなっていったんだった。
クラブで踊ってればいいや、くらいになってダンスからは遠のいちゃった。
あとたぶん、近所のおじちゃんの「ダンスで食べていけるわけない。」って言葉。
まさにドリームキラー。若い芽はそんなささいなことで摘まれてしまうのだ。
おじちゃんに私の人生になんの関係があってそんなことを言うのか、知らないけどさ。
でも今までの人生、全く後悔してないよ。
もしそこでおじちゃんがそういうこと言ってくれなかったら、これまでわたしが経験したこともなかったんだろうし。人との出会いも違っていたんだろうし。
そんなの嫌だから、やっぱりおじちゃんありがとう。

また話がそれちゃったけど、着々とcabaret、すすんでますyo〜☆

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